2024.05.07
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「和解」とは何か

投稿者:池内優太
棒人間・握手

世の中に星の数ほどある民事裁判。

その中には、何らかの理由で取り下げられるものも少なからずありますが、大半は主張立証や反論を経て、何らかの結論で決着します。

そのうち「判決」が占める割合って、実は半分くらいしかないってご存じでしたか? 残りの約半分は「和解」という形で終わります。

今日は、この「和解」についてお話しします。

和解とは、大まかにいえば、裁判所が命令を下すのではなく、当事者同士が一定の内容で決着させることに合意することをいいます。

字面からすると平和的な解決のように見えますが、実際にははらわたが煮えくり返る思いをこらえつつ仕方なく応諾するケースも少なくありません。

裁判にまで発展するくらいだから、たいていの場合、当事者同士はとても険悪なわけです。それが一定の内容で合意することなんてあるのか?と思われるかもしれません。

もちろん、最初から和解の話をするケースというのはほとんどありません。 たいていは、双方が証拠を出し合って主張を戦わせます。

でも、証拠や言い分なんて無限にあるわけではないので、どこかで

「言えることは言い尽くした」

「出せる証拠は出し尽くした」

という段階になります。

そのあたりで、裁判官がおもむろに切り出すのです。

「現時点の双方の主張や証拠を踏まえて、裁判所からの解決案をお示ししてもよろしいでしょうか(訳:和解の案を出したら、君ら、検討する気はあるのかい?)」と。

通常は「検討はします」という返事になります(事件の性質によって例外はありますが)。 そして、双方代理人はソワソワしながら裁判所からの連絡を待ちます。

納得いかない内容なら承諾しなければ良いだけなのですが、その和解案を出してくる裁判官は、判決を書く裁判官でもあるわけでして。

つまり、提示された和解案を拒否したところで、その後に言い渡される判決の内容もほぼ確実に納得いかないものになります。

圧倒的にこちらに有利な内容の和解案が出てくればそれで万事解決かと言えば、そうなると、今度は相手が承諾しません。

当事者双方が「判決になったら(控訴審になったら)この内容より悪くなるかもしれない」と思うような絶妙なラインが、成立しやすい和解案なのです。

ここは、うまい和解案を示すことができる裁判官と、それが下手な裁判官とに分かれます。

①上手な裁判官は、双方の主張立証をふまえ、「こういう結論が妥当だ」といえる説得的な理由付けをしてきます。また、双方代理人弁護士が脳内で考えている落としどころを察知する能力に長けています。

②あまりお上手でない裁判官は、双方代理人が内心思っている結論と大きくズレた案を示してきたり、主張(反論)を見落としているとしか思えない話をしてきます。

③さらにひどいパターンは、説得的な理由もないまま、一方の主張のみを容れた内容の和解案を出してきます。他方当事者にとっては完全敗訴というべき内容で和解を勧めてくるのです。

承諾するわけありませんよね。だったら判決もらって控訴の一択になるのですから。


最近、交通事故の裁判で②③複合パターンの和解案提示を受けました。

相手の主張に対しこちらが詳細に反論しているのに、そこを全く検討せず、相手の主張を全面的に採用した和解案を「仕方ないですよね」と言わんばかりの態度で提示してきました。

いや、そこは私からこうこう主張して、計算結果も示して反論してますよね。どうしてそこは考慮されていないんですかと反論したら、ポカーンとされてしまいました。

これは記録を読みこんでいないか、理解できていないかのどちらかだとすぐにわかりました。

私に言わせれば微塵も検討の余地が無い和解案だったので、判決にしてほしいと告げると、ニヤニヤしながら「控訴しても変わらないと思いますけどね」などと言い出す有様です。

主張もろくに読んでないくせによー言うわ、という台詞がすぐそこまで出かかりました。 

もしかしたら少し出たかも知れません。

その事件は宣言どおり控訴して、控訴審の初回期日ですぐに弁論終結となり、結論が170度くらい変わりました。

控訴審の裁判官から見れば一審が明らかに不当だったということです。そらそうよ。

内容も紹介したいところですが、事件を特定されてはいけないので差し控えます。


裁判というと何かと無機質なイメージを持たれがちですが、実際の現場では、人の感情や損得勘定、内心思っていることの探り合いという人間味ある要素が意外と多いんですよ、というお話でした。

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