2025.01.31
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2024-25 ウユニ塩湖旅行記②

投稿者:二川伸也
139121

弁護士の二川です。


旅行記の続きです。前回は→https://yotsuba-law-office.jp/blog/20250128-147/


リマの空港に着き、入国審査に並んだのですが、すごい人の数でした。ちらほら日本人もいたと思います。

無事に入国を果たして、到着ロビーに着くと、ガイドさんがいました。

今回の旅は、ペルー、ボリビアというあまりに縁遠い国なので、不安がありツアーにしていました。

リマでのガイドさんは日本語が使えるということで、コミュニケーションは円滑に取れました。

しかも、日系四世で、家系には沖縄人の血しか流れていないということで、完全に日本人顔でした。

名前はシゲルさんで、名字?もめっちゃ日本人でした。

また、日本で何年も働いていたということで、日本文化にも精通している方で、いろいろとペルーの日本トークをしました。


シゲルさんと合流し、車で最初の観光先に向かったのですが、まず驚いたのは、交通事情です。

どの車も割り込みやら信号無視っぽいことやらは普通で、歩行者もそれを前提にいつでも道路を横断しているという、日本では考えられないことでした。

シゲルさん曰く、ペルー式横断方法とのことでした。

また、車は常時、クラクションを鳴らしていました。 日本では、煽り運転というのが一時期よく問題になっていましたが、ペルーであれば、煽り運転は逆にないでしょう。

皆さん、相当荒い運転なので、丁寧に運転していたら、むしろやられそうです。

あと、平成中期くらいによく見かけた日本車が結構走ってました。 日本製は壊れにくいということで、どうやら信頼が置かれているようです。


リマには新市街、旧市街とあって、どちらも巡ったのですが、旧市街は世界遺産にも登録されていることもあって、素敵な町並みでした。

特にリマのアルマス広場というところは良かったです。

シゲルさんは、歴史的な話もしてくれたのですが、既にうろ覚えなのでここでは説明できません。


妻と広場をうろうろしていたら、現地の人に声をかけられ、ツーショットの写真を撮ってくれました。

「これってあれか。写真撮ったんだから、お金よこせとか言われる、押し貸しみたいなノリのやつか?」と思ったのですが、

そういったことはなく、話を聞いたところ、かつて日本に住んでいたことがあり、日本が好きだから声をかけたということでした。疑ってごめんなさい。


それと、リマは美食の都というだけあって、ご飯が美味しかったです。

パクチーのアツい登用が一部見受けられた点はアレでしたが、美味しかったです。

ただ、度重なる機内食と長距離移動の疲れ、そして冬からいきなり夏の天候という変化もあってか、食欲自体が少々減退していたため、もりもり食べられなかったことは残念でした。


リマの後は、ウユニ→ラパス(ボリビアの首都)と行き、もう一回リマに帰ってきて、フリーの観光があるので、最初のリマはとにかく移動と観光をたくさんしました。

その道中で、シゲルさんに、私が知っているペルーの知識で唯一と言って良い、在ペルー日本国大使公邸占拠事件のことを話しました。

私は小学生だったので、そんなに記憶をしていなければ、事情を把握しているわけでもないのですが、連日、テレビで現地映像を見ていた記憶はあります。

すごく衝撃的でしたので、そのことをシゲルさんに話すと、ペルーの方からしたら、当然、私よりはるかに衝撃的なことであって、

フジモリ元大統領のことやペルーの政治のことを丁寧に教えてくれました。

そして、せっかくだからということで、事件現場となった、在ペルー日本国大使公邸の跡地を案内してもらいました。

銃弾の痕が残るなど、なかなかに生々しい場所でした。


そうこうするうちに、晩ご飯も食べ、リマの空港に戻ってきました。

シゲルさんから、ボリビア行きの飛行機があるボリビアーナ航空のチェックインカウンターはここらへんにあると教えてもらい別れたのですが、

ずっと待っていても、一向に案内がなく、 案内板にも表示されないので、徐々に焦り始めました。


そこで、空港内を探索したところ、人目の着かないような場所にひっそりとボリビアーナ航空のチェックインカウンターがありました。

きっとその日はその場所だったのでしょう。

とにかく急いで、非常につたない英語でチェックインを済ませると、

受付の人に「お前達は脇目も振らず、出国審査、保安検査を済ませろ」的なことを言われました。たぶん。shouldだか、mustだかを言われたので、間違いないです。


ということで、脇目も振らず、諸々を済ませるとなんとか間に合いました。

おそらく、私たち夫婦と同じで、ボリビアーナ航空のチェックインカウンターの場所が分からない人、しかも日本人がいたようで、何回もアナウンスされていました。

今回は、その怒りのアナウンスをしていた方の手が写った写真を上げておきます。

ちなみに、チェックインカウンターの受付をした人も同じ方でした。


何とか無事にボリビアのラパス行き飛行機に乗り込むことができ、 ラパスまでの数時間(2、3時間くらい?)は二人ともかなり寝てました。

なんせ、ラパス行き飛行機に乗り込んだ時点で、おそらく、羽田空港を出発してから48時間は経過していたにもかかわらず、ちゃんとした睡眠は取れていませんでしたので。

ちなみに、お風呂にも入っていません。着替えすらしていません。


ラパスに到着直前、添乗員さんが何やらスプレーを機内中に吹きかけていました。

ラパスは富士山級の高地にある都市なので、おそらく高山病対策のための何かだと思います。

寝不足でふわふわしていたので、基本的にここらへんの出来事はすべて曖昧な記憶です。


ということで、ラパスに着きました。

しかし、ラパスはあくまでウユニ行きの乗り継ぎでしかないため、数時間空港にいただけでした。

とはいえ、高地の影響を受けていた人が早速いたらしく、妻曰く、トイレにずっとこもって嘔吐いていた人がいたようでした。

私たちも心なしか、少し頭が痛いような感じはありました。

もっとも、大きな問題も無く、ウユニ行きの飛行機に乗り込む時間となり、1時間ほど飛行機に乗って、ウユニ空港に着きました。


今回もかなり長くなったので、ここで一旦締めます。


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